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2013年10月 Archive
世田谷区立森の児童館 「歌いながら遊ぼう」 リトミックセッション
- 2013年10月29日 22:43
- 演奏会 ・ 講演会
世田谷区立森の児童館 「歌いながら遊ぼう」 リトミックセッション 2013
2013年9月13日(金)午前10時30分より東京都世田谷区立森の児童館にてリトミックのセッションを行いました。上野毛にある公園併設型児童館です。児童館の周りは木々に覆われ、土の感触が味わえる公園となっています。このセッションに参加されたのは、保護者同伴の2歳以上の幼児15組です。募集後、例年の事ですが、すぐに定員締切になるとのことで、大好評です。
ピアノアシスタントは高木愛子氏です。
セッション目的
① 音楽を身体で感じる ・・・音楽の速度・強弱・無音に合わせて動く
② 音楽を表現する ・・・音楽を感じて身体で表現する
③ 記憶力・感性の育成を促す ・・・音楽に合わせた動作により記憶力を育む
④ 親子のコミュニケ―ション ・・・共同作業・親子で同じ動作・親子の身体接触を通して育む
歌って遊んだ曲は ぞうさん・むすんでひらいて・グーチョキパーでなにつくろう・ひらいたひらいた・がたがたバス他多数
セッション終了後は、ゆうやけこやけ・ゆりかごの歌をみんなで合唱してクールダウンしました。
そして、サプライズとして、マスカーニ作曲・オペラ「カヴァレアルチカーナ」よりアヴェマリアを演奏いたしました。
たくさん笑って、たくさん歌って、たくさん動いて、たくさん遊んで、お母さんもお子さんも 今夜はぐっくり眠れることでしょね。森の児童館の元気な職員の皆様、ありがとうございました。
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新美南吉生誕100年に際して 『児童文学・童話や童謡は子どものためか』 教育新聞社掲載
- 2013年10月 3日 16:29
- 紹介記事 ・ 原稿
~ 新美南吉生誕100年に際して 2013年 ~
「児童文学・童話や童謡は子どものためか」 声楽家 川原井泰江
南吉作品である『おじいさんのランプ』や『ゴンギツネ』は、教科書にも掲載されていて、幼い頃に読んだ経験のある方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
書店には「児童書コーナー」のようなスペースがあり、そこには童話・児童文学と総称される文学作品が並んでいます。児童文学者である彼の作品も、このコーナーで手に取ることができるでしょう。
小学生の私にとって教科書に載っていた『ごんぎつね』は、悪戯狐と鰻取の物語でした。国語の授業に於いて、教科書に掲載されている作品内容の追求よりも、上手に朗読できることが先生より与えられた課題だったように思います。それでも、『ゴンギツネ』を覚えているということは、私の心が何らかのメッセージを受け取ったのでしょ。
今年は新美南吉の生誕百年ということで、南吉の故郷であり「新美南吉記念館」のある愛知県半田市に行って参り大人になってから立ち寄った書店の児童書コーナーで、黒井健氏の挿絵に心惹かれ『ごんぎつね』を手に取りました。一気に立ち読みしてしまいましたが、なぜか涙が止まらなくなり、困ってしまったのを覚えています。未だに私の中では完了していない感情があり、読むたびに込み上げてくる何かがあります。小学生の私の心に湧いてこなかった何かです。
そしてサン・テグジュペリ作『星の王子様』は、何年かに一度、手に取る本の一冊です。幼い頃は、「王子様はずっと一人でご飯食べているのかな?王女様はどこにいるの?」なんて母に聞いたことを思い出します。年を重ねるごとに、この本から受け取れるメッセージの深さが増してきています。
この二冊共に子どもの目線で、子どもに理解できる言葉を使って書かれていますが、決して子どものためだけに作者は創作していると思えません。
南吉の児童文学評論『デブと針金』に、このように書いています。...童話作家はまず、大人文学の作家でなければならない。大人文学の作家になれなかったから、童話作家になったのでは、不甲斐ない作家ではないか...。また、「心臓」で書かれた作品を評価し、...「頭脳」で書かれた作品は読みごたえがあるが、ほとんど無意味である...。
南吉が尊敬する文学者、北原白秋と巽聖歌(童謡「たきび」の作詞者)も、多くの童謡詩を書いています。二人は童謡や児童文学について、述べています。
聖歌は、...童謡もまた詩の一つの道である...(『雪と驢馬』後記より)。また、聖歌は『おもちゃの鍋』の序文で、...「どうよう集」が、きかんぼうや、あばれんぼうや、なきむしや、わらいじょうごや、オカッパさんたちに、よろこばれてくれますよう。...と、結んであります。
白秋は、...童謡とは、童心童語の歌謡である。... 童謡は、心法なり、境涯定まって、念々十万に光波する。...真の童心はかくして神の微光となる...(『雪と驢馬』序文より)と記しています。
南吉・聖歌・白秋、三人の言葉の表現こそ違いますが、童謡・童話に対する考え方や思いの深さ、そして作品より溢れ出てくるメッセージの重さを感じます。
同じ作品から受け取れるメッセージは、読み手の年齢や経験、精神状態や感性により様々です。子どもに理解できる言葉と文章で書かれた作品であっても、南吉の言う「心臓」から生まれたものであるからこそ、読み手の心の奥に眠っていた感情を呼び起こすのでしょう。忘れていた何かを思い出させてくれるのでしょう。「悲哀、即ち愛を含めるストーリィを書こう」。南吉の作品の神髄です。
ある者は身体を使って、ある者は物を媒体として、そして文学者は言葉を使い、各自の神髄を表現しています。
自分が選んだ方法で、人生を貫く究極の自己表現が芸術ではないでしょうか。その人の人生さえも垣間見えることがあります。
南吉が、まず大人作家でありその大人作家が童話作家になれる。と云っていますが、正にそのとおりであると思います。だからこそ『ごんぎつね』が、大人になった私の心を読むたびに動かすのだと思います。
2013年9月
※この原稿は、教育新聞社依頼による
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