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掲載原稿 001 「思い出のあの歌」  

 「思い出のあの歌」   2007年 教育新聞  新年号掲載

 私にとっての思い出の歌は、母との絆である『ゆりかごの歌』です。それは一生変わることがないでしょう。                                                        
  原稿依頼を頂いた約一ヶ月前の平成十八年十一月4日に最愛の、そして私たち姉妹の人生においての応援団長でもある母が、急死いたしました。母は父を音楽家に持ったせいでしょうか、七十九年に渡る人生は、常に音楽が溢れていたように思います。特に自分で歌うことが好きで、私たちは母の歌う歌を聞いて育ちました。そして、多くの童謡や抒情歌を教えてもらいました。
 
 夕方、近所のスーパーへ買い物に行った帰り道、西の空を赤く染めた夕焼けを見ながら、『夕焼けこやけ』を一緒に歌って帰ってきたことが多々ありました。夕食後の団欒時、テレビの音楽番組を見ながら、流れてくる歌謡曲を家族全員大きな声で歌う夜もありました。思い起こすと、生活の中に音楽が溶け込んでいたように感じます。 その母が初めて我子のために歌った曲は、きっと子守歌だったでしょう。幼い頃、寝る前に枕元でよく歌ってくれた「ねんねんころりよ おころりよ...」で始まる『江戸子守唄』と、北原白秋作詞による『ゆりかごの歌』です。この二曲は私のコンサートでの"十八番(おはこ)"となっています。    

 晩年、母は訪ねて来る方に何度も幼かった娘たちのことを、目を細め優しく微笑みながら、そしてとても嬉しそうに話していました。  
 「ゆりかごの歌を.........って歌っただけで、もう眠ってしまっているのよ。寝ているこの子たちの足の裏を見ると、真っ黒なの。可愛いのよ。ウフフフ...」    
 昭和三十年代に子育てを始めた母の話です。                                当時はまだ、上野駅から東北方面へ発着する列車ダイヤには、蒸気機関車が一日に何本か走っていました。田端尾久操車場の近くに住んでいましたので、白煙を上げて、シュッシュ シュウッシュと走る機関車を線路際で見ることができました。機関車が白煙と共に吐き出した小さく黒い煤が、初夏になり開け放した窓から舞い込み、コロコロと風に吹かれて廊下に転がっていました。廊下が遊び場だった私たちの小さな裸足の足の裏は、油煙を踏んでいつも真っ黒でした。真っ黒な足の裏を見つけると「足の裏拭きましょう」と母が雑巾を持って来ては拭いてくれました。古いタオルを縫って作った真っ白な雑巾は、煤で真っ黒になっていたのを、幼いながらに覚えています。 母の傍らに座って話しを聞いている私も、幼い頃の光景が脳裏に浮かんできて、心が温かくなりました。
 そういえば、母は孫を寝かす時も添い寝をしながら、優しく小さな声で、「ゆりかごのうたを カナリヤがうたうよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ」と歌っていたのを思い出しました。きっと私たち姉妹も同じように寝かせてもらっていたのでしょうね。 

                                                                                                     子守歌研究家 川原井泰江


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